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日本ならではの観光教育とは?

―日本の観光教育が、しばしばアメリカの観光教育と比較されています。

 

 観光庁主体で「観光経営マネジメント研修」等が実施されているように、アメリカ型のマネジメント重視の観光教育を日本の観光系大学に導入しようという動きがあります。しかし、それが本当に日本でうまく機能するのか、難しい問題もあります。

 なぜなら、企業の採用プロセスと雇用システム、さらにいうと教育制度をはじめとする社会構造が、日本とアメリカなど諸外国では異なるから。アメリカはコーネル大学を中心に観光産業界と大学が密接に結びついており、卒業生は大学で実践的に学び、そのキャリアが評価されれば、すぐホテルのマネージャークラスで採用され、10年もすると支配人になるケースもあります。しかし日本には、そのような採用直結の産学連携の教育システムはまだありません。そして、一般的にも日本企業の定期新卒採用では、大学で勉強してきたことはあまり重視されません。観光系学部・学科を卒業したからと言って優先的に採用してもらえる、ということはない。旅行会社のトップ層自らが、「旅行業務のことは会社で教えるから、学生には頭でっかちになるより人間的な魅力を磨いてきてほしい」と発言しているとも聞きます。産業界側は、会社で必要な知識は会社に入って教える、というスタンスです。これは、企業側も持っていて欲しい観光人材の能力を明確に把握できていないからとも言えます。また、日本の大学教育制度も産学連携に対応できるような柔軟性を持ったものではありません。

 ですから、採用プロセスや社会構造が異なるアメリカの観光教育を単純に日本に輸入すればよい、というわけではないのです。

 

―では、日本ではどのような観光教育を作るべきなのでしょうか。

 

  もちろん、マネジメント教育も必要です。それに加えて、世界に発信するには、日本らしい観光教育も必要だと思います。とても難しい問題ですが、例えば、日本ならではのサービスの良さを観光教育でも教えるべき、ということはそのひとつでしょう。ちょうど、オリンピック招致の話題で「おもてなし」という言葉が話題ですが、日本のサービススタイルの方がアメリカ型より優れていると思うことが沢山あります。旅館を始めとする和の文化やおもてなしなどは、海外から求められる観光要素のはずです。

 日本の観光系大学では、日本ならではの観光、サービスとは何か、という研究を深めていくべきですし、それを学生に教えることは日本ならではの観光教育だと思います。

 

―“おもてなし”や“サービス”を大学で教えるとなると、専門学校との違いが薄れていきませんか。

 

  技術と方法を学ぶ、極端に言えば明日からホテルのフロントに立てる即戦力を養成する場が専門学校です。大学は、新しい価値や理論を創造できる人材を育成し、研究を蓄積していく場です。同じテーマを扱っても本来は、社会的役割が違うので、観光系大学が専門学校と同じになることはありません。

 ただ、さまざまな環境要因から専門学校化する大学も出てきていますし、特化した専門人材を育成する大学が必要だ、という議論も起こっています。しっかりと議論すべき問題ですので、大学と専門学校、出来れば高校も巻き込んで対話するような場を持つべきだと考えています。

 

観光学は学問?

―「観光学は新しい分野だから未熟だ」という批判的意見が聞かれます。どういう点が未熟なのでしょうか。

 

 研究力の低さを指摘しているのだと思います。大学の研究者の主な役割は研究をして、論文を書くことですが、日本の観光系大学では、観光学の論文がまだまだ量的に蓄積されていません。

研究量が少ないのには、理由があります。まずは、観光系の大学院が数少ないからでしょう。観光関連大学院も増えつつありますので、少しずつ改善されていくと思います。

 また、アメリカの大学では研究能力が教員評価の全てですから、論文を書かなければ大学の中で生き残れません。しかし、日本の大学では教員になるために特別な資格は必要ありませんし、一度なってしまえば安泰だと言われてきました。観光系学部・学科で大手有名企業出身の教員が多いのは、その実務能力を評価されるからですが、大学教員になるための研究や教育業績のハードルは低いと言えるでしょう。研究や教育業績でなく、学生の就職斡旋やインターン受け入れを増やすのに有利だから、という安易な有名企業経営層の招へいがあるのも現実です。

 また、日本の観光学教員が世界的に存在感を示せていない、という指摘もあります。原因のひとつは、語学の問題だと思います。当然ながら、論文は英語で書かなければ世界的な学術誌には掲載されない。これまでの日本の観光産業は内需型で、世界に出ていく必要性があまりなかったのですが、大学教育も同じような認識がありました。ほとんどの学問が日本語で学べるのです。それがここ数年、いたるところで「グローバル化」が叫ばれるようになって、必然的に観光教育のグローバル対応への遅れも批判されるようになった。

 「未熟だ」と批判されているのはそういうことを言っているのだと思います。

 

―では、観光学は学問として成り立つのでしょうか。

 

 現状では、成り立つかどうか簡単には言えません。私はもともと社会学部出身ですが、社会学も同じような批判を受けていた時代がありました。新しい学問には避けられない問題ですね。


 ここまでいけば学問である、というような明確な線引きはありません。しいて言うなら研究の蓄積と社会的評価、あるいは認知度で決まるのではないでしょうか。先日、NHKで観光立国の特番をやっていたけれど、一昔前は観光を社会問題として、テレビで取り上げられることなんてなかった。それだけ、観光の重要性が世の中に浸透してきているということです。メディアが取り上げる中で世間一般に「現代社会において、観光は重要だ」という声が大きくなり、だんだんと「観光学ってあったんだ」という認識を持ってもらえるようになる。今では全国50近くの大学に観光系学部・学科ができましたから、今後も少しずつ、「観光を大学でも教えるんだな、専門学校と違う観光の学び方があるんだな」と認知されていくと思います。

 歴史が浅いですから学問的に成熟しているとは言えないですが、他の学問に比べて可能性がないとは全く思っていません。

 

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